『ちいちの花』ーちいちのはなのなかよりはー
(三帖和讃)
『浄土和讃』
『讃阿弥陀仏偈和讃』四十八首(『真宗聖典』482貢)
四十
一一(ちいち)のはなのなかよりは
三十六百千億の
光明てらしてほがらかに
いたらぬところはさらになし
四十一
一一のはなのなかよりは
三十六百千億の
仏身もひかりもひとしくて
相好金山(そうごうこんぜん)のごとくなり
四十二
相好ごとに百千の
ひかりを十方(じっぽう)にはなちてぞ
つねに妙法(みょうほう)ときひろめ
衆生を仏道にいらしむる
ご開山 親鸞聖人様 七十六歳におつくりになられました。
「広辞苑」
※わさん(和讃)
仏・菩薩、教法、先徳などを和語で讃嘆した歌。
讃歎(さんだん)に起り、
平安時代から江戸時代にかけて行われ、七五調風に句を重ね、
親鸞は四句一章とした。
※さんたん(讃嘆・讃歎・賛嘆)
深く感心してほめること
※さんだん(讃歎・讃嘆)
仏・菩薩の徳をほめたたえること。また、その言葉。
韻文が多い。
※そうごう(相好)
(仏の容貌の特徴を三十二相八十二種好というところから)顔つき、顔かたち
※こんせん(金仙)
仏のこと
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親鸞聖人様のおつくりになられました、四十八首の和讃の内、四十首、四十一首、四十二首の
「ちいちの花のなかよりは」から始まるこの三首は、
「いのち」の扉を開け、今のわたくしへと導いてくださった和讃です。
つれあいの還浄後、お寺の生活はカオスの世界となりました。
胸の内の深いところから、聴こえてきた、わたくしの自立を願う声。
この立場になると決意した数か月後、取り寄せた聖典と真宗教科書の山。
言葉が出なかった。一瞬、自分が望むものがとてつもなく巨大なものに感じたのです。
真宗聖典を初めて開いた貢のなか、
初めて目に入った真宗のことば。
それが、「ちいちの花のなかよりは」の和讃でした。
この和讃が私になにか語り掛けてきた気がしたのです。
何もかもすべてを包まれた気がしました。
ふしぎと涙が止まらず、体が温かくなり、身体の内からあふれる感情。
こらえていたもの、抑えていたものが、全て吐き出されたのでしょう。
泣きつくすことが、ようやくできた瞬間でした。
寺生活、家族を支え養う中、全身打撲とむち打ち、瞳の揺れが止まらない状況を迎え
身体共に、まことに厳しいべんきょうでした。
試験を終えて、本山で向き合った前期と後期の精神修養の最終日に
提出したレポートには、始まりに必ず
「ちいちの花のなかよりは」の和讃が書き記されてありました。
無意識に書いていたのだと思います。
今、ちいちの花は、わたくしのうちに在ります。
笑顔を取り戻しました。
わたくしの浄土に咲く美しく光り輝く仏のはなは、
うちより、わがみを照らしてくださります。
わたくしを揺さぶる情動さえも、てらしてくださるのです。
仏の道を行けと、光の白き道を歩めと。
そうして、わたくしの「自立」が始まったのです。
「ちいちのはな」
お聖人のお言葉はいのちのことのは。真実のはな
舞う時を待つ、ことのは、ひらひらはなびらとなり
花びらのうちに、無限の仏おわします。
今かいまかと、身を震わせ、枝をゆさぶり、全ての方向に光をはなち、阿弥陀仏を讃えます
風の王に吹かれ、花びらの同朋、ちりじりとなろうとも、
空に浮けば、天を尊び、ひかりで愛でましょう。
地に降れば、土を和らげ、ひかりで地中貫く法をおしえましょう。
花びら一枚一枚は それ仏のひかりなり 阿弥陀仏を讃え、ほがらかに万全を讃えます。
仏の光、船となり 迷える人々をのせたもう
弥陀を呼びたもう人々すべて、阿弥陀の元へはこびたもう
せっせ、せっせとはこびたもう
平成三十一年四月十四日釈尼妙秀
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