塔の峰(堂山)の草庵 住職乗順ノ時

『叢林集』恵空・元禄十一年(一六九八)

順信御房、無量寿寺、常陸国鹿島郡富田鳥栖、順信歴代鹿嶋明神之 大宮司職也、
帰聖人後猶勤神事

 

『大谷本願寺通記』玄智・天明五年(一七八五)

順信、俗名信広、姓大中臣氏、・・・父尾張守信親、鹿島廟令、鹿島人帰依祖師、屢見徴験・・・
信親感租徳奉信広為弟子法名順信、信親薙染為弟子法名順信

 

「光明山無量壽寺浄財喜捨賜」昭和二十七年三月(一九五二)

抑當山ハ親鸞聖人直弟順信房ノ開基也今ヲ距ルコト凡八百年古塔峰に一宇ノ草庵を建立̪ㇱ
光明山無碍光院無量壽寺ㇳ
・・・今ヨリ三百年昔乘順師ニ至ㇼ今ノ地柊山二遷セ̪ル者・・
※乘順・・・富田無量壽寺第十世住職ヵ
※柊山・・・現在地、同下富田村内

(2019/3/1撮影)

「昭和三十五年四月一日発行 鉾田町の今昔」

光明山無碍光院 無量壽寺
大字下富田にあり、建暦二年 申八月二日(一二一二)
順徳天皇の御代(鳥羽院)時の将軍は源実朝、執権は北条氏なり。
開基は順信御房上人で見真大師の直弟である。
弘長元年辛酉三月十四日入寂(一二六一)亀山天皇の御代なり、
創立以来七四二年に当る(昭和三十五年。)
もと塔山(堂山)の霊地にあつた。

天明七年(一七八九)極月の四つ時庫裏台所から出火、本堂 寺中不残焼失、
南風で一時に焼亡霊位のみが残った。

同年五月二十一日誓詞に状況届書を上奏。その後文化十三年(一八一六)再度焼失。

宝物には浄土宗開祖法然上人の伝記を書いた絵巻物で
製作は浄土宗の普及に伴い頗る貴重なものであって、
異本、別本等その種類は少ない。常陸常福寺にある(無量寿寺)、拾遺古徳伝も法然上人の絵巻物である。
おそらくは之に類するものであった。

又、法然伝として最も古いものは嘉禎三年知空か詞を書いて観空が図絵した伝法絵四巻があった。
これは筑後の善通寺に足利末とおぼしい転写本を存する由また巻頭由緒寺に於いて
最も顕著なものは、知恩院所蔵の知空作四十八巻伝である。
今の絵巻物としては最も法輪というべきであって正安年中伏見上皇、御伏見上皇の勅によって
知恩院の舜昌法師が拠述したものと伝えられ世に「道修御法伝」と呼ばれるものである。

さにあれ今はこれらの宝物なし。