真宗大谷派

🌸いのちのふるさと🌸
🌸お釈迦様の呼吸🌸
🌸🌸親鸞聖人のお心をお尋ねしているお寺🌸🌸

みなさま、こんにちは。
ようこそ、お参りにおいでくださいました。
尊い機縁を頂きましたこと、心から感謝を申し上げます。

 人生は、一度だけのご縁。いのちは、久遠。
たくさん泣いて、たくさん笑って、
どうぞ肩の荷をおろしてください。
どうぞ楽になさってください。
共にうなずき、共に喜び、共に学んでまいりましょう。
お父さんとお母さんから頂いた、肉体(DNA)のおつながりをいただき、
いのち(生命)を受け継いでいる、私たちです。

たった一人でこの世に誕生した人間は世界中ひとりもいません。
心の内に在る、いのちのふるさとは、どのような処なのでしょう。
その故郷は、いつも私たちと共に在るといわれております。
これから、その、いのちのふるさとをお尋ねしてまいりましょう。
教えに耳を傾け、お尋ねしてまいりましょう。(*´▽`*)🌸

〇令和元年12月の言葉〇

如来は 愛    宇宙は 鏡     (釈尼妙秀)

どこまでも、わたくしを愛してくださる存在は
私に選択をゆだね、わたくしの創造の世界を 愛で満たしてくださっている
良いも、悪いも、全て わたくしの世界を 抱いてくださっている

 

御開山 親鸞(しんらん)聖人
常陸国旧跡二十四輩第三番

開基 順信(じゅんしん)御房
光明山
無碍光院

富田-無量壽寺
むりょうじゅじ

茨城県鉾田市下富田542
いばらきけんほこたししもとみた

🌸無量壽寺 仏の子 ~芸術祭~🌸

力作、リラックス画、創作なんでもお待ちしておりますよヽ(^o^)丿ななだぶー?


春の絵 「桜」 とあくん(ご門徒様ひ孫様) 紙いっぱいに桜の樹を描いてくれました。太い幹の上にたくさんの桜の花が咲いていますね。桜の周りにも、虫さんやお花たちも集まっています。ウインクしているのは、とあくんかな。とても楽しい、嬉しい気持ちになる春の絵ですね。

沿革

当山無量壽寺の宗旨は、浄土真宗でございます。
浄土真宗の教団は全国に十派ございます。
私共のお寺は、そのうちの一つ、真宗大谷派と申します。
本山は、京都駅すぐ近くにございます東本願寺、
正式には、「真宗本廟」と申します。
親しみをこめて「お東さん」と、呼ばれております。

富田の無量壽寺は、鎌倉時代中期以降、真宗初期教団遺跡の寺院として、
およそ八百年の歴史を歩んで来ました。
現在第二十七代住職がお寺をお預かりしております。

親鸞聖人様の教えを法灯とし、阿弥陀如来の本願を拠り所として、
代々ご門徒様と共に、いのちの教えを大切に紡いでおります。

親鸞聖人

高弟二十四輩 第三番 御旧跡

順信御房  常陸国富田

「親鸞聖人高弟二十四輩原本」大洗 願入寺様所蔵

巴川のすぐそばにある富田の地に、親鸞聖人様が創建されました、
「塔の峰(多武ノ峰)の草庵」が当山の興りでございます。
親鸞聖人様は、鹿島、行方地方の教化の際、度々鹿島神宮に参詣なされました。
その往復路に、巴川流域の塔の峰(塔山)に草庵を創建され、
休憩所とし、ご教化なされたと伝えられております。

富田(とみた)という地名は、当時、巴川で水運業を営む
「津」のあったところでございます。
当山のご門徒様には、その「津」を営んでいたご子孫がおられます。
富田の「富」(うかんむり)という漢字は、
十数年前、「冨」(わかんむり)に変更されておりました。
元禄以前から、「富田」(うかんむり)ということが分かっております。
「しもとみた」と発音しますが、ナビの音声では「しもとみだ」と読まれています。
「し・も・と・みだ」・・・なぜか、「あ・みだ・さま」を思い起こします。

「塔の峰(多武ノ峰)の草庵」は、
現在のお寺の地から一キロメートルほど離れた処の、
小高い見晴らしのよい丘に建立されました。
「塔の峰」、「塔山」、「堂山」、「多武峰」とも、
呼ばれている小高い丘でございます。

江戸時代以前、さらに古い時代、巴川は現在よりも、
はるかに川幅広く九十九曲りの蛇行川筋と、
豊かな水量に恵まれておりました。
岩間の愛宕山を源流とする流れは、
片倉(堅倉)から下吉影、當摩(当間)村の西南から流海に入ると、
「烟田文書」に残されております。

現在、塔山の南側山壁は、
残念ながら、長いこと削り取られた跡が残っておりますが、
むき出しの地層からは、かなり古い時代の層を見ることが出来ます。
(無断採掘を防ぐため、故副住職が杭を打ちロープをはり立ち入らないようにしました。)
現在100歳近くの大先輩の方のお話では、
巴川で遊び、塔山の砂を崩しては貝や骨が出てきたと、いうことです。
また、塔山の土砂は大変良質の砂であるということで有名だそうです。
それらの事実から、江戸時代以前の古代から在る巴川の水面の高さや川幅は、
現在の位置より高く広く、北浦の北先鋒はかなり北上していたといえます。

稲田の西念寺様から親鸞聖人様が、鹿島、行方地方においでになるための
移動手段として、岩間の愛宕山を源流とした九十九川~巴川の当時の流れを利用し
片倉~下吉影~富田~當摩を経て鹿島神宮に参詣なされたのでございましょう。

その当時、塔山の草庵から見渡す景観は、西方は美しい紫峰の筑波山、
また今よりもはるかに水量誇る巴川の雄々しい姿は
なんともいえぬ美観であったことと想像するばかりでございます。

当山の初代、順信御房は、親鸞聖人様のお弟子となられてからは、
塔ノ峰草庵で、ご教化活動を熱心になされました。

また、鳥栖、無量寿寺様(本願寺派)にも住まわれ、
晩年七十歳頃、 塔の峰の草庵に隠居されました。

土地の人々は、「鳥栖の隠居所」または、「かくれ場所」と呼んでおりました。